2020年4月8日水曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人15

 午後に、病棟で山崎先生を待った。
 ナースステーションで、午前中の先生の反応を伝えたら、師長は苦い笑いの微妙な顔をした。
 理由を聞くと、「まあそのうち分かるわよ。」とのこと。
 今日は、予定では午後はずっと病棟で入院患者の診察や看護師らとの意見交換などを行うはずだ。しかし、なかなか病棟にこない。
 うーん、とうなっていると、看護師の藤さんがナースステーションに入ってきた。
 「あら。野間さん。何してんの?」
 「いや〜。山崎先生を待っているんです。相談したいことがあって。けど、来ないんですよねぇ。いつもならとっくに来ている時間だと思うんですけど。」
 「ふーん。もしかして、相談したいことがあるって言っちゃった?すでに。」
 「えっ。朝に言いましたよ。けどどうしてですか?」
 「なら逃げるわよ。あのウナギ犬。」
 近くで聞いていた師長が、やだ藤さん、と笑っている。
 野間は、まさかと思った。半信半疑でいると、藤さんが続けた。
 「だってさぁ。いま病棟来るとき、逃げるように立ち去る山崎先生とすれ違ったわよ。」
 聞いていた師長は、納得したようにうなずいていた。
 しかし、野間は、信じられなかった。山崎先生はもう70歳も近いベテランの精神科医だ。嫌だからって逃げるか? 子供じゃないんだから。
 とにかく、野間は、医局に向かった。

 医局は病棟とは別棟にある。
 入ると誰もいない。と思ったら奥の机に伏せている人が顔を上げた。
 「おう。野間君じゃないか。どうした?」
 いたのはナル先生だ。
 「ナル」はもちろん先輩がつけたあだ名だ。ナルシストなのと、よく寝るので睡眠障害のナルコレプシーをかけて、先輩がそうよんでいる。
 「先生。いらしたんですか。」
 「おう。昨日飲み過ぎた。二日酔いだよ。だから、お前の先輩には気づかれるなよ。分かると喜んでちょっかい出しに来るからなぁ。」
 「そうですか。」
 さすが先輩、かな?
 「っで何だって?」
 「ああ。いやじつは、山崎先生を探しているんです。相談したいことがあって。」
 二日酔いで反応が遅いが、先生は思いついたように言った。
 「おお!そういうことかぁ。朝、先生に会ったら、珍しくスニーカーはいてるんだよ。何でか聞いたら、ニヤニヤ笑って、アキレス腱のばして出ていったよ。はっはっは!
 野間は目が点になった。仕事が嫌で逃げ回っているというのは、どうやら本当らしい。

(つづく)


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2020年3月25日水曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人14

 山崎先生を探す。しかし、やはり見つからない。外来診察の無い時間帯は見つけるのが難しいので、次の日を待つことにした。
 次の日、午前中に外来診察の予定がある。野間は、開始の9時より早く、8時半には外来受付に入って待った。
 外来の看護師たちには、山崎先生に話があるので待たせて欲しいと話すと、捕まえて話すのは無理だろうと笑われた。

 しばらくして、その通りになった。ようやく山崎先生が来たのは、9時を過ぎていたのだ。
 バタバタと自分の担当の診察室に入る先生に話しかける余裕はない。ダメかと諦めかけた時、通りすがりに、先生が急に足を止めた。
 「あれ? 野間君。珍しいですね。どうしたの?」
 野間は、意表を突かれたが答えた。
 「じつは、先生をお待ちしていたんです。」
 「うん? 何か急ぎの用事かい?」
 「あっ。急ぎというほどじゃありませんので、また次回で。」
 先生は完全に体を向き直して、野間に言った。
 「気になるねぇ。本当に時間がないけど、ちょっとだけでいいから何のことか教えて。」
 それならと思い、野間は、とりあえず早口で伝えた。
 「じつは、病棟で長期の方たちを対象にしたグループワークを始めたいと思っているんです。」
 先生の動きが一瞬止まった。そして、「なるほど分かりました。それは僕も何かやるの?」と聞いてきた。
 野間は、「はい。病気の話をしてもらいたいと思っています。」と答えた。
 すると、先生は「なるほど。それは大事な試みだね。じゃあ時間無いから後でね。」と言って診察室に向かった。

 野間は、おっと思った。確かに、大事な試みだと言った。面倒くさいから嫌だと言われるかと思っていたから拍子抜けした感じ。
 先輩のウナギ犬話を聞かされていたので、山崎先生に対して、知らずに偏見を持っていたのかもしれない。そう反省した。

 そこで、相談室に戻って先輩にも言った。
 「先輩。山崎先生にグループワークの話しましたけど、大事な試みだねって言われましたよ。何だか、先輩の話聞いてたからすごい面倒くさがりな先生かと思ってましたよ。」
 先輩は、それを聞いて、「ぷぷぷぷぷっ」と笑いをこらえだした。そして、そのまま「そっかぁ。よかったね。頑張れ、、ぷぷぷぷぷっ」と。
 野間が何がおかしいのか聞いても、いいからいいから、としか答えない。
 室長に振ると、「おっと、悪いですが行かなきゃ」と出ていった。

(つづく) 
 
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2020年3月7日土曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人13

 次の日。
 野間は、病棟の朝の申し送り後、ナースステーションで二人きりになった時に、師長に話してみることにした。
 「師長さん。ちょっと相談があるんですが。」
 「ん? なあに?」
 「じつは、長く入院している人たちを対象に、病棟でグループワークをやってみたいと思っているんです。」
 「グループワーク?」
 「はい。集団療法とか、集団精神療法とか言ったりもしますが、長期入院患者に退院の意欲を持ってもらったり、地域生活の知識を持ってもらうことを目的にしています。そのために、ドクターによる病気の話とか、看護師による健康的な生活の話とか、心理士による心の持ち方の話とか、薬剤師による服薬の話とか、作業療法士による家事の話とか、精神保健福祉士による社会資源の話とか。そんな知識提供の話と、毎回の患者同士の意見交換の時間を持つんです。不安や悩みを出し合えるように。どうでしょう。」
 「う~ん。それってさぁ。誰を考えてるの? 入院して20年も30年も経ってるような人? 患者を不安にさせるだけなんじゃないかしら? それは困るわよ。」
 やはりそうきたか。野間は、師長がそう言ってくるのを、ある程度予想していた。そのため、説得する言葉を用意していた。
 「確かに、それは心配ですよね。けど、この取り組みは、うちの病院ではまだどこの病棟もやっていない先進的な取り組みなんです。他の病院を見ても、やっている所は少ないんですよねぇ〜。」
 師長の表情が変わった。
 「えっと。野間さん。それほんとかしら? 松田師長の病棟も?」
 師長の眉毛がぴくっと動いた。野間は、よしっと思った。
 「もちろんです。必ずしも退院を目指すということではなく、グループワークは患者のリハビリに非常に効果的だと言われています。しかし、誰もがやれることではありません。相当にリーダーシップのある師長の病棟じゃないと無理でしょうね。あの松田師長もまだやれていません。」
「松田師長もやれていない。ふ~ん。」
 明らかに興味がある様子。なんせ表情に出さないようにしているが、細かく足の貧乏ゆすりが始まった。
 「えっとぉ。まぁ、絶対退院ということではなくリハビリ目的ならいいかもね。そうねぇ。うんうん。」
 野間が、決定だな、と思っていると、はたと師長の貧乏ゆすりが止まった。あれっと思っていると師長が口を開いた。
 「ただ、先生が何と言うかよねぇ。」

 先生とは、ここの病棟担当医の山崎先生のことだ。勤続40年以上のベテラン医師で、あだ名はウナギ犬。そう呼んでいるのは先輩だけだが。
 とにかく、するりするりと仕事をすり抜ける名人。顔もウナギっぽいが、そういう性格なので先輩は陰でそう呼んでいる。最近は、そのあだ名がナースにも伝染し始めているが。
 このウナギ犬、捕まえるのがまずは大変。捕まえても、患者の退院支援のような面倒な事には絶対に近寄らない。それに、へらへらと「患者はここでこのまま死ぬのが幸せなんですよ~。あはっあはっ」と公言してはばからない。
 とにかく、野間は、師長に、自分から山崎先生に説明させて欲しいと了解を得た。
 
(つづく)



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2020年2月25日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人12

 病棟に着くと、老齢の看護師がいた。
 「藤さん。ちょっとお聞きしたいことが。」
 声をかけると、看護師はちょっと慌てていた。警戒してもいるようにも見える。
 「なに、なに? なによ。」
 「あの」
 話し出そうとした時、遮るようにして藤さんが言った。
 「古いカルテのことなら、私は忘れちゃったわよ。もう年なんだからぁ。もっと若い人に聞いてちょうだい。」
 ピシャリと言い放って後ろを向いた。
 野間は粘ろうと思って言った。
 「いや。昔のことじゃなくていいんです。1年前ぐらいに見たESのことなんです。」
 藤さんは、予期していたかのように、すぐに答えた。
 「もう忘れちゃったわよ。」
 「えっ?」
 「はい。おしまいおしまい。忙しいのよ。私。」
 そう言って、追い払われた。

 こう強硬だと野間には何も言えない。
 ESのことは心に引っかかっているが、そこにこだわっていては前に進めないような気もする。
 正直、ESの理解をしなければ、絶対に小林さんの退院を進められないとまでは思ってはいなかった
 野間は、しばらく間を置いてから、また聞いてみることにした。

 長期入院患者の退院支援について、野間には、じつは試したいことがあった。
 それは、グループワークだ。病状的に退院可能な患者を対象にしたグループを作り、働きかける。
 例えば、医者による病気の話や、栄養士による栄養指導、作業療法士による調理や食品購入、そして、精神保健福祉士による社会資源の説明など。
 このような知識提供とともに、患者相互の話し合いで不安要素について出し合い、支え合いながら解消していく。
 こうして、長期入院患者の退院への意欲を高めるのだ。
 
(つづく)

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2020年2月18日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人11

 野間は、脳の深く、芯の部分に麻酔を打たれたかのように、脳全体がジンジンとしびれるような感覚になった。ショックで目の前がくらむ。
 「難しいでしょ。」主任がそう言って、視線を向けてくる。
 気づかれないように、かろうじて「そうですね」と答えた。


 あの時から、一年以上が経つが答えは出ていない。というか、そのことにまだ怖くて向き合えていない。

 うつむく野間を見て、先輩が言った。
 「小林さんのことね。退院支援について考えているんでしょ。」
 野間は、ハッとして顔を上げた。
 「何で分かったんですか?!」
 「当たり前だのクラッカー。そりゃ分かるわよ。いい? 前にも言ったと思うけど、室長語録によれば、クライエントを理解するには、クライエントの過去、歴史を理解することが必要よ。古い患者さんの多くは、ESを受けていたの。小林さんもESを受けていたのでしょう。ESは入院患者にものすごい影響を与えたわ。良くも悪くもね。ESを理解することは、小林さんを理解する一歩になると思うわ。
 野間はうなずいた。けど、どう理解すればいいのか。
 それを察して、先輩が言った。
 「言っとくけど、私に聞いたって分からないわよ。当事者に聞きなさい。当事者にね。もちろん、患者自身だけが当事者じゃないわよ。」
 そう言って笑った。

 野間にはすぐに思い浮かぶ顔があった。
 野間は、急いで立ち上がり病棟に向かった。

(つづく)


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2020年2月11日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人10

 「先輩は電気ショック療法ってどう思いますか?」
 「え? ESね。」
 「はい。」
 「う~ん。そうねぇ。どうかなぁ。けど何で?」
 「いや。実は今日、病棟の倉庫にあった古いカルテを見たら、カルテに『ES』というゴム印がたくさん押されているのを見ました。それを見たら、怖いような申し訳ないような気持ちになって。」

 そう話しながら、野間は思い出していた。
 あれはこの病院に就職してすぐの事だった。主任に連れられ、色々な病棟にあいさつ回りをしている時、ある病棟のドクターが、これからESやるけど見ていくか、と聞いてきた。
 貴重な体験である。野間はすぐに、見たいと答え、急ぎ足のドクターや何人かの看護師のあとについていく。程なく保護室に着いた。

 保護室とは、症状の重い患者を、一時的に隔離するための個室のことだ。観察のためのカメラが設置され、厳重に鍵がかけられる。ベッドとトイレ以外何もない。

 入口付近に着くと、中から怒鳴り声が聞こえる。
 「おい! 俺はどこも悪くねぇよ。キチガイ扱いするんじゃねぇ!!」
 それに対応して、冷静な声。
 「落ち着きなさい。いい? あなたは、どうしてここに連れてこられたか分からないのですか?
 「うるせえ! そんなの知らねぇよ!」
 野間は、ドキドキしながらも、入口に立つドクターや看護師らの隙間から中を覗いた。
 狭い個室の中では、目が血走った大柄な男性患者と看護師がいた。
 看護師は70歳ぐらいだろうか。小柄な老齢の看護師。冷静な声で話している。
 「あなたのために言っているの。このままだと色んな人を傷つけるし、それは回ってあなた自身を傷つけることになるのよ。」
 口調は冷静ながら、一歩も引かない迫力に押されたのか、患者が口ごもる。
 老齢の看護師が「このベッドに横になりなさい。」と言うと、「何だこのやろう!」など抵抗しながらも、なんとか横になった。
 老齢の看護師がにらみ続ける中、別の看護師たちが、素早く口に木片を噛ませ、こめかみにジェルを塗った。間髪入れず、ドクターの掛け声。看護師たちが一斉に手をはなし、一歩後ろに下がる。ドクターは両手に持った電極で患者のこめかみを挟む。患者は、弾かれたように痙攣をし始めた。「ゔーっ! ゔーっ!」何度も何度も唸りながら。やがて、痙攣が収まり、体が硬直し始める。胸はこれでもかというほどのけぞり、手足はこれ以上ないくらいに伸びている。それを、ベッドサイドで冷静に抑える看護師たち。老齢の看護師は、腕時計の針を見て時間を測っている。
 しばらくして、「かはーっ」大きく息が吐き出され、体の硬直が解けた。
 すると、看護師たちが、手慣れた手つきで、木片を外したり、おむつを履かせたりしている。患者は完全に気を失っているようだ。

 野間は、出てきたドクターと目が合った。あっけにとられている野間にドクターが言った。
 「これで終了。どうだ? 驚いただろう?」
 野間は声が出せなかった。それを見て、ドクターは更に続けた。
 「これは善か悪か? どっちだろうか?」
 そう言って、ニヤリとして去っていった。

(つづく)


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2020年1月28日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人9

 その日は、あえてその病棟は避けて、医療相談室での事務作業で時間を過ごした。
 野間はまだ、あのカルテの記録をどう捉えていいのかわからずにいたからだ。

 夕方になり、「おつかレンコン、おつかレンコン」っと先輩が帰ってきた。
 野間は、カルテのことを言おうか迷った。
 しかし、カルテを見て、怖くなって逃げ帰ってきたなんてやっぱり言い出せない。

 野間が、無意識に、「う〜〜ん。」とうなっていると、嬉しそうに近寄ってきた。
 「悩める青年よ。いいね。いいよそのうなりっぷり。いっぱしの精神保健福祉士って感じするねぇ。」
 先輩は、そう言って笑った。
 野間は、自分がうなっているのに気づいていなかったので、恥ずかしくなった。
 それを見て、先輩が続けた。
 「よろしい。今日は気分もいいし、室長語録を授けてしんぜよう。
 そう言って、話し始めた。
 「おほん。人を支援しようとするとき、悩んでしまうのは当然。完全に他人を理解できる人なんていないからね。むしろ、悩まない支援者は、弱くて独善的で未熟な支援者よ。なぜなら、そんな支援者は、必然的にクライエントを見下してしまうゲス野郎だからだ! オーイェー!」
 のってきたらしい。
 「つまり、飛べない豚、もとい、悩まない豚はただの豚だってことだぜ〜! 分かったかいフィオ。それじゃあ俺はカーチスの野郎と一戦交えてくるぜ!」

 先輩は、ここまで言って振り返り、引き気味の野間を見て正気に戻ったのか。振り上げていた腕をおろし、椅子にゆっくりと腰を下ろした。
 そして、落ち着いた声で「えっと。それからね。等身大の自分を受け入れなさい。」一息ついて、「以上、愛の伝道師が送る室長語録でした。」そう言って、微笑んだ。

 等身大の自分を受け入れる。確かにそうだ、野間は納得した。
 ありのまま先輩に話してみようと思った。


(つづく)


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